「ビジネスと人権」に関する行動計画(2020-2025)【テキスト版】

 

第1章 行動計画ができるまで(背景及び作業プロセス)

 

1 はじめに~「ビジネスと人権」に関する国際的な要請の高まりと行動計画策定の必要性~

 

(1)経済発展における国際的な企業の役割の重要性が認識されていく中で、企業活動が社会にもたらす影響について関心が高まったことを受けて、企業に対し、責任ある行動が求められるようになった。1976年には、経済協力開発機構(OECD)行動指針参加国の多国籍企業に対して、企業に期待される責任ある行動を自主的に取ることを求める勧告を取りまとめた「OECD多国籍企業行動指針」、1977年には、社会政策と包摂的で責任ある持続可能なビジネス慣行に関して、企業に直接の指針を示す「国際労働機関(ILO)多国籍企業及び社会政策に関する原則の三者宣言」(以下、「ILO多国籍企業宣言」という。)等の、企業活動に関する文書が策定された。

 

(2)さらに、企業活動の人権への影響は社会にもたらす影響の一つであるとの認識が高まる中、企業活動における人権の尊重への注目も高まった。1999年には、企業を中心とした様々な団体が社会の良き一員として行動し、持続可能な成長を実現するための自発的な取組として、「国連グローバル・コンパクト」が提唱された。グローバル・コンパクトが企業に対し実践するよう要請している4分野にわたる10原則のうち、2分野(6つの原則)は、「人権」及び「労働」である。*1 また、2005年、第69回国連人権 委員会は、「人権と多国籍企業」に関する国連事務総長特別代表として、ハーバード大学ケネディ・スクールのジョン・ラギー教授を任命した。2008年に、ラギー特別代表は、「保護、尊重及び救済」枠組みを第8回国連人権理事会へ提出した。同枠組みは、企業と人権との関係を、(1)企業を含む第三者による人権侵害から保護する国家の義務、(2)人権を尊重する企業の責任、(3)救済へのアクセスの3つの柱に分類し、企業活動が人権に与える影響に係る「国家の義務」及び「企業の責任」を明確にすると同時に、被害者が効果的な救済にアクセスするメカニズムの重要性を強調し、各主体がそれぞれの義務・責任を遂行すべき具体的な分野及び事例を挙げている。さらに、ラギー特別代表は、「保護、 尊重及び救済」枠組みを運用するため、2011年「ビジネスと人権に関する指導原則:国連「保護、尊重及び救済」枠組みの実施( 以下、「指導原則」という。)」を策定した。この「指導原則」は、第17回国連人権理事会の関連の決議において全会一致で支持された。

 

*1  国連グローバル・コンパクト」の10原則において、「人権」及び「労働」の項目では、以下の原則が掲げられている。 

原則1:人権擁護の支持と尊重

原則2:人権侵害への非加担

原則3:結社の自由と団体交渉権の承認

原則4:強制労働の排除

原則5:児童労働の実効的な廃止

原則6:雇用と職業の差別撤廃

 

(3)国際社会において、「指導原則」への支持は高まりつつある。2015年9月に国連総会で採択された「持続可能な開発目標」(SDGs)を中核とする「持続可能な開発のための2030アジェンダ」では、民間企業活動について、国連の「「ビジネスと人権に関する指導原則と国際労働機関の労働基準」、「児童の権利に関する条約」及び主要な多国間環境関連協定等の締約国において、これらの取決めに従い労働者の権利や環境、保健基準を遵守しつつ、民間セクターの活動を促進すること」が謳われた。2015年のG7エルマウ・サミットにおける首脳宣言には、「指導原則」を強く支持し、また各国の行動計画を策定する努力を歓迎する旨の文言が盛り込まれた。2017年7月のG20ハンブルグ首脳宣言においても、我が国を含むG20各国は、「指導原則」を含む「国際的に認識された枠組みに沿った人権の促進にコミット」し、「ビジネスと人権に関する行動計画のような適切な政策的な枠組みの構築に取り組む」ことを強調している。さらに、「指導原則」の成立を受けて、(1)に記載した「OECD多国籍企業行動指針」については、2011年の5回目の改定時に人権に関する章が追加され、「ILO多国籍企業宣言」についても、2017年の改定時に「指導原則」への言及が追加された。さらに、「ビジネスと人権」に関する国際的な動きとして、子どもの権利の分野では、「指導原則」を補完する文書として、国連児童基金(UNICEF)等が、「子どもの権利とビジネス原則」を策定し、企業活動を通して子どもの権利を守るための10の原則が示された。そのほか、児童の権利に関する条約や、社会権規約(経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約)など、複数の人権条約の委員会の一般的意見においても、「ビジネスと人権」の重要性が指摘されている。

 

(4)こうした「ビジネスと人権」の理念に関する意識の高まりを受け、欧米諸国を中心に、各企業に対し、サプライチェーンも含め、人権尊重を求める法制を導入する動きが広がりつつある。また、市民社会、消費者においても企業に人権尊重を求める意識が高まっている。さらに、近年、サステナブル投資は拡大しており、機関投資家も、企業との建設的な目的を持った対話(エンゲージメント)に積極的に取り組んでいる。投資家は企業による人権分野の取組の情報開示と、それに基づく対話を期待している。この関連では、種々の金融分野の国際的なイニシアティブにおいても、「ビジネスと人権」の議題が取り上げられており、例えば、国連責任投資原則(PRI)は、ESG(環境・社会・ガバ ナンス)投資の「S(Social)(社会)」の主要な要素の一つとして人権を位置付けており、「ビジネスと人権」はESG投資の中でも重要な取組の一つとなっている。また、2020年には、PRIがSDGsに 沿った成果を果たすための機関投資家向けの投資行動フレームワークをまとめている。さらに、PRIに加えて、国連持続可能な保険原則(PSI)、国連責任銀行原則(PRB)が策定されている。また、日本を含む各国の証券取引所は、国連持続可能な証券取引所(SSE)イニシアティブに参加し、市場におけるサステナビリティの推進に取り組んでいる。このように、企業に人権尊重を求める動きは、投資家のみならず、金融機関全般に広がりつつある。

 

(5)さらに、オリンピック・パラリンピックを始めとする大型スポーツイベント、その他国際大会の開催に当たっても、「指導原則」の遵守を始めとする人権尊重が求められている。日本においては、2021年に開催が延期された2020年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会(以下、「東京2020大会」という。)に向けて、日本企業の活動を含め日本における人権尊重の姿勢に国際的な関心が向けられており、オリンピック競技大会・パラリンピック競技大会として初めて、東京2020大会が「指導原則」に則った大会を目指し、準備が進められている。

 

(6)このような国際的な潮流の中で、企業は、企業活動における人権尊重を求める声に、対応して行くことが求められている。特に、海外事業を展開する企業にとっては、事業実施国の法令遵守だけではなく、国際基準に照らして企業行動が評価される国際動向となっている。このため、企業は、そのサプライチェーンも含め、自ら事業における人権に関するリスクを特定し、対策を講じる必要に迫られている。

 

(7)日本では、これまでも、関係府省庁が、それぞれ人権の保護に資する様々な立法措置・施策を行い、企業はそれに対応してきている。例えば、(一社)日本経済団体連合会は、2017年11月に「企業行動憲章」を改定し、新たに人権尊重に関する原則を追加し、同憲章「実行の手引き」においては、グローバルな人権規範の理解、デュー・ディリジェンスと情報開示、包摂的な社会作りを通じた人権の増進を推奨している。中小企業においても、人的・物的資源に制約がある中、人を中心に捉えた経営を実践し、中小企業が地域社会と働く人々を大切にする経営に取り組んできている。また、日本企業は、これまでも海外への進出に際して日本らしい「技術」、「文化」、「人づくり」のアプローチの下で、良好な労使関係を通じた紛争の未然防止や改善につなげる労使慣行を始めとした、日本企業独特の取組で責任ある企業行動を実践してきている。

 

(8)しかしながら、現在の「ビジネスと人権」に関する社会的要請の高まりを踏まえれば、一層の取組が必要と言える。この観点から、今般、日本政府として、「ビジネスと人権」に関する行動計画(以下、「行動計画」という。)を策定した。その中で、関係府省庁がこれまで個別に実施してきた人権の保護に資する措置を「ビジネスと人権」の観点から整理することで、関係府省庁間の認識の共有・理解促進を図り、今後の関係府省庁間の連携を促進しつつ、関係府省庁間の政策の一貫性を強化していく。企業に対しては、行動計画を広く周知することで、「ビジネスと人権」に関する一層の理解の促進と意識の向上を図ると共に、企業及び企業間での取組の連携強化を促す。日本政府としては、これらを通じて、責任ある企業活動の促進を図り、国際社会を含む社会全体の人権の保護・促進に貢献し、日本企業の信頼・評価を高め、国際的な競争力及び持続可能性の確保・向上に寄与することを期待する。

 

(9)現在、新型コロナウイルス感染症は、国境を越えて広がり、この流行により引き起こされた経済・社会の混乱は、世界のいたるところで人権に影響を与え、特に、社会において最も脆弱な人々に打撃を与えている。こうした中、グテーレス国連事務総長は、新型コロナウイルス感染症への対応や回復期において人権を対策の中心に据えることを強調している。加えて回復期に向けて、「より強靱で、より平等で、包摂的で、持続可能な経済社会」の構築に焦点を当てている。

また、「ビジネスと人権」の分野では、国連「ビジネスと人権」作業部会がその声明の中で、新型コロナウイルス感染症の文脈においても「指導原則」が適用されると指摘し、責任ある企業行動を確保する政府の役割及び企業の人権尊重に焦点を当てる旨述べている。さらに、「「指導原則」の履行の実質的な推進が、将来の危機へのより良い準備」につながるとの考えを示しており、「指導原則」の趣旨を実現するためには「責任ある政府及び企業が先導しつつ、全ての関係者が関与するより良い連携」が必要である旨指摘している。新型コロナウイルス感染症のような世界的危機の文脈における責任ある企業行動の確保の必要性は、第44回国連人権理事会(2020年7月)でコンセンサス採択された「ビジネスと人権」決議においても認識されるなど、国際社会において広く共有されている。

 

2 行動計画の位置付け~ 「指導原則」等の国際文書及びSDGsとの関係~

 

(1)政府は、「指導原則」を支持しており、行動計画の策定に当たっては、行動計画が「指導原則」の着実な履行の確保を目指すものとした。また、行動計画は、「指導原則」だけでなく、「OECD多国籍企業行動指針」や「ILO多国籍企業宣言」等の関連する国際文書も踏まえて策定した。

 

(2)第37回国連人権理事会(2018年3月)において採択された「2030アジェンダの実施と人権」決議(37/24)において示されたとおり、政府としては、SDGsの実現と人権の保護・促進は、相互に補強し合い、表裏一体の関係にあると考える。政府は、本行動計画の策定を、SDGsの実現に向けた取組の一つとして位置付けており、2019年12月のSDGs推進本部第8回会合で決定された「SDGs実施指針改定版」等に、行動計画を策定していくことを明記した。

 

(3)2018年6月に閣議決定された、我が国の成長戦略である「未来投資戦略2018―「Society5.0」「データ駆動型社会」への変革―」においても、行動計画の策定を通じて、企業に先進的な取組を促すこと、外国人の就労環境の改善を含む外国人の受入れ環境の整備を通じ、人権の保護を図っていくことに言及した。

 

3 行動計画の策定及び実施を通じ目指すもの

 

上記「1.はじめに~「ビジネスと人権」に関する国際的な要請の高まりと行動計画策定の必要性~」で述べたとおり、政府として、本行動計画を通じ、関係府省庁間の認識の共有・理解促進を図り、関係府省庁間の政策の一貫性を確保し、さらには、連携を高めていく。企業に対しては、行動計画を広く周知することで、「ビジネスと人権」に関する一層の理解の促進と意識の向上を図るとともに、企業及び企業間での取組の連携強化を促す。これらを通じ、責任ある企業活動の促進を図ることにより、国際社会を含む社会全体の人権の保護・促進に貢献し、日本企業の信頼・評価を高め、国際的な競争力及び持続可能性の確保・向上に寄与することを目的としている。より具体的には以下のとおり。

 

(1)国際社会を含む社会全体の人権の保護・促進

 

 政府は、「指導原則」はもとより、国家の人権保護義務を基礎とし、我が国が締結している人権諸条約 の遵守及び国際的に認められた原則(「労働における基本的な原則及び権利に関するILOの宣言」 ( 以下、「ILO宣言」という。)に述べられている基本的権利に関する原則等)の尊重を含む国際社会に 対する各種コミットメントの実施のための手段の一つとして、行動計画を策定する。また、国内外におけ る責任ある企業活動の促進を図ることで、国の内外を問わず企業活動により人権への悪影響を受ける 人々の人権の保護・促進に、ひいては国際社会を含む社会全体の人権の保護・促進に貢献することを、 本行動計画の目的とする。その際、社会的弱者になるリスク又は社会的に取り残されるリスクの高い グループに属する個人の権利とニーズ及び直面する課題に特に注意を払う。なお、本行動計画における 「人権」とは、環境破壊による被害やサプライチェーンにおける人権尊重も考慮することとする。

 

(2)「ビジネスと人権」関連政策に係る一貫性の確保

 

 「ビジネスと人権」に関する社会的要請が高まる中、企業は、その活動において関連する法令を確実に遵守することが求められている。また、政府においては、関連する政策の一貫性を確保し、関係府省庁間の連携を強化することで、それら政策の効果を一層高めることを目指すべきと考える。このため、行動計画では、関連する法令、政策、今後の具体的な取組等を明確化し、関係府省庁間の連携を促すことを目的とする。

 

(3)日本企業の国際的な競争力及び持続可能性の確保・向上

 

 企業活動における人権尊重は、人権に対する悪影響に対処し、社会に貢献するとともに、企業リスク要因の回避・管理につながり、さらには、国際社会からの信頼を高め、グローバルな投資家等の高評価を得ることにもつながる。これを踏まえ、行動計画では、企業の国際的な競争力及び持続可能性の確保・向上に貢献することを目的とする。政府としては、日本企業が人権尊重の責任を果たし、また、効果的な苦情処理の仕組みを通じて問題解決を図ることを期待するとともに、そのような取組を進める日本企業が正当に評価を得る環境づくりも目指す。

 

(4)SDGsの達成への貢献

 

 上記「2.行動計画の位置付け~「指導原則」等の国際文書及びSDGsとの関係~」で記載したとおり、SDGsの達成と人権の保護・促進は表裏一体の関係にある。このため、行動計画の実施を通じて、「誰一人取り残さない」持続可能で包摂的な社会の実現に寄与することを目的とする。

 

4 行動計画の策定プロセス

  

(1)「ビジネスと人権」は、後述のとおり、幅広い分野にわたり、また、その関係者も多様である。このため、政府は、行動計画策定に当たり、我が国における「ビジネスと人権」を巡る状況を把握するとともに、政府として取り組み得る措置について包括的に検討することで、行動計画が、現実的かつ効果的なものとなるよう努めた。

 

(2)第一段階として、関係する全府省庁が参加する形で、企業活動に関連する我が国の法制度や施策等の現状整理を行い、その上で、実態を把握するため、経済界、労働界、法曹界、学術界、市民社会等の代表的な組織の参加を得て、計10回の意見交換会を実施した。なお、経済界からは、中小企業の参加も得ることで、日本社会の雇用全体の7割を占めている中小企業の意見を聴取することに努めた。

 

(3)当該ベースラインスタディ(現状把握調査)の結果を踏まえて、関係府省庁間の調整を図る連絡会議を設置し、また、幅広い意見を聴取することを目的とし、諮問委員会、作業部会を設置し、上記各界及び消費者団体等からの意見も踏まえつつ、議論を重ね、行動計画に盛り込む優先分野を特定し、行動計画を策定した。さらに、当該行動計画の策定においてパブリックコメントの募集や国内セミナーを行った。また、国連「ビジネスと人権」作業部会委員やOECD金融企業局・責任ある企業行動センター長等、海外からの有識者と意見交換をする機会も設けた。